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知ってほしいなら、相手を知ろうとしないとダメだと思う

アラ60になり、頭もボケ始めて来ているので
なんとなく、あの世も近づいているんじゃないかと思い、
自分の死について、時々考えることがあります。

「SNS依存」と「孤独死の恐怖」の共通点
の中でこの記事書かれた方は

誰かに知ってほしいという欲求。自分のことを知ってもらうことが、安心につながる。つまり、死ぬとき、医師や看護師がそばにいてほしいというわけではない。自分が死にゆくプロセスを傍らで知ってほしいのだろう。


と言っています。
また、お寺の老師の言葉として

「人に知ってもらうと、人は安心する。さらに、人以外の大きな存在、それは仏といってもよいし、神といってもよい。その存在がすべてを知ってくれていると感じることができれば、孤独であっても、もちろん、孤独死の渦中でも安心がある」


と言うことも書かれています。

人に知ってほしい、という欲求に関しては
私も、ほぼ毎日、どうでもよいようなくだらないことを、ブログ書いています。
これは、まさに、不特定多数の人に私自身を知ってほしいという欲求の表れなんでしょう。

過激なところでは、自分の死の瞬間を動画で流す、なんてことも、最近は流行っていますよね。
昔は、有名な作家さんが、自分の自殺を、仲間を巻きこんでテレビ放映させたりもしました(私ゃ、当時このテレビ放映、見てしまいましたよ)。
自爆テロもこの流れの一つの変形かもしれません。
まさに、みんなに、自分の死の経過を知ってほしいんでしょう。

ただ、記事内の老師の言葉に関しては、私は、仏教で言うところの仏やキリスト教やイスラム教で言うところの神、
の存在はあり得ないと思っているので
人を超えた、大きな存在に知ってもらえている、と言う感覚は、全くありません。
一方で、日本的な八百万神的なものは、身近に感じているんですけどね(アホなる矛盾でスミマセン)。
ですから、人に知られていないなら、だれにも知られないだろうと思っています(他の生物には知られるかもしれないけど、ほかの生物の多くが死を認識しているとは思っていない)。

誰にも知られずに、一人だけで死に向かうこと、
に対しては、私も、ほかの人と同様に、意味もわからずに、根源的な恐怖を感じています
それでも、一人に死に向かうのは当たり前のことであるという思いもあります。

通常、
生まれた時は一人じゃないことがほとんどですよね、最低でも母親がいます
(稀には、母親がいない、そのままゴミ箱、と言うこともあり得るけど)。
でも、死ぬ時は、一人の可能性は、結構あると思うんです
(哺乳類じゃないなら、生まれる時も死ぬ時も孤独、なんてことは当たり前だけど)。

ですから、個人的は
もしかしたら、孤独死も大いにあり得る、と思ってはいます。

ただ、私の場合、妻も子供もいるので
高い可能性として、看取られて死ぬのかもしれません(ただ、私の死ぬころは、世の中年寄りばかりで
年寄りの死が多すぎて、社会保障も破綻して
手が回らない状況になっているかも、ホント、死ぬ時期を選ばせてほしい)。

でもね
看取られて死ぬためには、結構大事なことがあるんです。
それは、常に、パートナーや子供に配慮し続けることなんです。

なぜって、人に知ってもらうには、まずは相手を知ろうとしないと、自分を知ってはもらえないですよね
そして、相手を知ろうとすることって、
私のような内向的な人間にとっては、酷く大変で面倒でしんどいことなんです。
ですから、私は相手を知ろうとする範囲を、妻と子供以外まで広げられないんですよね。

相手を知ろうとするには
ただ、教えてほしい、と言えば済むような簡単な話じゃありません。
毎日毎日、時間をかけて、互いを理解しようとする努力を積み重ねることだと思っているんです。
それでも誤解ばかりが積み重なるものなんです。
そんな時を何十年かかけた結果、僅かに出来上がるようなものなのでしょう。

でも、そんな時間かけたものが、ほんの些細なことで、あっという間に壊れてしまうものでもあると思っているんです。
ですから、私は、そんなに、多くの人とは、相手を知ろうとする関係は結べないんです。
ほとんどの人とは、せいぜい、言葉を交わすぐらいが関の山です(それでも結構疲れます)。
でないと、私のエネルギーが尽きてしまいます。
内向的って、損な性格です。

人を知りたいと思うことが、自分のエネルギーにつながる、なんて羨ましい性格だったら良かったんだけど
正反対ですから。

もっとも、そんな性格がとっても楽なので、これからこの性格直そうなんてことは、思わないんだけどね。

孤独死が怖いから、自分を知ってほしい、なんてことは、まったく都合が良るぎる話です。

人はある程度の強度で結びついていない限りは、仕事(医師・看護師・僧侶とか)だとか、人の死に対して興味があるとか、性格的に強く人とかかわらないではいられない(一定数で必ずいます)とか、宗教的なあるいは道徳的な義務感に行動を規定されてしまう人とか、でも無い限り、他人の死に寄り添おうとはしないと思うんです。
だからこそ、歴史的に、宗教が生じ、地縁血縁などが強制されてきたわけですから。

こんなところにも、、日本人の同調圧力がかかっているのかもしれませんね(宗教国家とかならもっとはるかに強い同調圧力かかっているはずだけどね。今の時代でも、宗教上の戒律としてしまうと、ほとんどどんな無理難題もフリーパスですから、恐ろしい)。
正義みたいに、100人いたら100の宗教、とかが世の中の共通認識の世界だと面白いんだけど。



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